深夜の冷たい風が頬を切るように
吹きつけていた。

サヨリは立っていられず
その場にへたり込える。

それをお清がそっと支え
二匹の間には言葉にならない
恐怖が漂っていた。

フミの唇が歪み乾いた笑いが漏れた。

フミ

切り刻んで、井戸に捨ててやったさ

お清

まさか、神父様が……

まるで他人事のような淡々とした
口調だったが、その瞳の奥では
煮えたぎる激情が渦巻いていた。

フミ

あいつの最後の言葉はなんだと思う?……

フミは一度目を閉じ
ゆっくりと開く。

まるで、その瞬間を噛み締めるように。

「神様、どうかお助けください・・・」

フミはふと自分の手を見た。

指の先から手のひらまで
血の気の引いた白い肌がそこにある。

しかし
脳裏には別の光景が焼き付いていた。






あの日、フミの手は血にまみれていた。



神父が床に転がり

震えながら命乞いをしている。

ザッ……

冷たい石の床に倒れた神父は

血まみれになりながらフミを見上げていた。

口の端からは赤黒い血が泡のように滲む。

神……様……どうか……

かすれた声でそう呟いた瞬間——

ズバァンッ!!

ぐぁぁ!!

フミの振り下ろした斧が
無残にも神父の胸を裂いた。

血飛沫が飛び
白い法衣を赤く染め上げる。

フミ

神様?

フミは小さく笑った

フミ

神様なんてな……

ドシュッ!

ふぎぁぁぁ!!

斧が振り下ろされるたびに

肉が裂け骨が砕ける音が響く。

フミの手も、顔も、血に濡れていった。

フミ

いないんだよ!!

ドシュッ!!

最後の一撃と共に
神父の体は動かなくなった。







——気がつけば
フミはぼんやりと井戸を見つめていた。


あの日と同じように
東の空がわずかに白み始めている。


ーー夜が終わる。

フミ

さぁ、もうすぐ夜明けだ……

フミ

これが終われば、私は自由になれる……

朝日を待ちわびるように
フミはその場を去った。

さてさて、時は夜明け迫る刻。教会の庭にて、密やかに生贄の支度が整えられておった。
そこかしこに薪が積まれ、風に乗りて漂うは油の匂い。広場の中央には、
そびえ立つ十字架ひとつ。前には一枚の絵が掲げられておる。

「翠緑の猫娘」
——そのまなざしは今宵の儀を
見守るかのごとく
まっすぐに十字架を射抜いておった。


そこへ車輪の軋む音ひとつ。

闇を割って現れしは
一台の猫力車。


揺らめく篝火に浮かび上がるは
黒き衣まといし
——八千代にござる。

八千代は静かに猫力車を降り
油の匂いを鼻先で嗅ぐと
ゆるりと歩を進める。

フミ

八千代様、このような刻にお運びいただき、恐れ入ります

八千代

まぁよい。さて、絵画も見つかり、生贄も用意できたと聞いておるが?

八千代の問いに——フミは静かに
頷いた。

指先をひとつ動かせば
闇の奥より引き立てられし
メス猫の姿。

両の手足は縄に絡め取られ
口には猿轡(さるぐつわ)。

身をよじれど
もはや声すら発すること叶わぬ。

八千代は少女を一瞥し
くつくつと喉を鳴らして笑う。

八千代

あれが生贄か?

フミ

左様。あの者、この絵を盗み出す手助けをいたしましたゆえ、生贄にふさわしき者かと

八千代

ふむ、それはよかろう。罪人であれば、あと腐れもあるまい

フミ

では、儀式を始めましょう

!!!

されど、少女——澄音の瞳は虚ろ。

意識は霞み膝はがくがくと震えておる。

最後にフミより無理やり
飲まされた水——あれに何かが
仕込まれていたのやもしれぬ。

声を張り上げることも
涙を流すことすら叶わぬ。




やがて

十字架に磔にされし少女の前に
松明を手にした者どもが近づいてゆく。




火影が揺らめき、夜風がそよぐ。

薪に火が移ると
じんわりと燻るように煙が立ち上った。



次の瞬間

ぼっと空気を喰らうように炎が
弾け、乾いた木を舐め上げる。


黒煙がむせ返るような熱とともに立ちのぼると

鼻をつく焦げた脂の匂いが
広がり、炎は紅蓮となって
勢いを増し闇を喰らう獣のごとく十字架へと迫る。

その炎の向こう

翠緑の猫娘の絵画は
まるでこの儀式の結末を
見届けるかのように


静かに——十字架を見つめ続けておった。

血の祈り、虚ろな夜明け

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